東京高等裁判所 昭和54年(行ケ)145号 判決
(争いのない事実)
一 本件に関する特許庁における手続の経緯、本願発明の要旨及び本件審決理由の要点が原告主張のとおりであることは、当事者間に争いがない。
(本件審決を取り消すべき事由の有無について)
二 引用例の記載事項及び記載内容から把握し得る事項として本件審決が認定した事項中<1>ないし<6>並びに(A)及び(B)の点は原告の自認するところ、本件審決は、その余の認定事項中(C)ないし(E)の点について引用例の技術内容の認定把握を誤つた結果、本願発明をもつて引用例から容易に発明をすることができるとの誤つた結論を導いたものであり、違法として取り消されるべきである。すなわち、
本件審決は、引用例に直截には記載されていないが、引用例の記載から前記(A)及び(B)のほか(C)ないし(E)の技術事項を直ちに把握することができるものとし、原告は、この認定を争うので、以下この点について検討するに、原告自認に係る本件審決認定の<1>ないし<6>並びに(A)及び(B)の引用例記載の技術事項に成立に争いのない甲第五号証(引用例)中第七九頁ないし第八〇頁及び第八八頁の第六図を総合すれば、引用例の第八八頁の第六図に記載された回路は、プツシユプル電流I1とI2をシングルエンデツドの型に変換するものであつて、まずトランジスタVT5の出力端子EからFには、電流(I2-I1)が流れるようになつており、更にFに接続されたダイオードD3には、ダイオードD4を介して流れる電流I3との合計電流{I3+(I2-I1)}を流すとともに、それによりトランジスタVT5にも同じ電流{I3+(I2-I1)}を流す回路構成を採用し、このような回路構成を採ることを特徴とすることにより演算増幅器としての機能及び効果を奏するものであることを認めることができる。
ところで、本件審決は、引用例に記載された右のような回路において、トランジスタVT5について「そのコレクタが無負荷である状態を考えれば」として、本願発明の明細書に記載された(2)式(甲第二号証第三頁左欄第一三行ないし第二三行参照)
<省略>
と同等の式
<省略>
を得たうえ、これにより、引用例の回路においても、電圧利得がR8/R7に電流利得(=1)を乗じたものになることは明らかであるとして技術事項(C)を認定し、更に、技術事項(D)及び(E)を認定しているのであるが、前認定したとおり、引用例の回路は、トランジスタVT5の出力端子EからFに電流(I2-I1)を流すものであり、これを前提としてトランジスタVT6にD3に流れるのと同じ電流{I3+(I2-I1)}を流すようにした回路構成を特徴とするものであるから、本件審決のように引用例の回路において、トランジスタVT5のコレクタを無負荷であると仮定した場合には、出力端子EからFに引用例の回路が予定した電流が流れないこととなり、引用例の回路が所期の目的・効果を達成し得なくなることは明白であるといわなければならない。したがつて、引用例の回路の技術的構成としては、基本的に、電流(I2-I1)、更に電流I3を流すような、しかるべき負荷D3(ただし、電流を流さないような高抵抗のものではない。)が、トランジスタVT5の出力端、つまりコレクタに接続されているものとして引用例の回路の技術的思想ないし構成を把握し理解すべきものというべきである。そうであるとすると、本件審決が、引用例の回路において、トランジスタVT5について、「そのコレクタが無負荷である状態を考えれば」とし、それを前提として、式<省略>を得ていることは、引用例の回路構成の所期の目的、効果を無視し、引用例の回路において本来前提とすることのできない事項を前提としたものというほかなく、そのように前提事項となし得ない誤つた事項を前提として、引用例の記載から(C)の技術事項を、更に(C)の技術事項を基に(D)及び(E)の技術事項を把握し得るものとした本件審決は、この点の認定判断を誤つたものというべきである。この点について、被告は、引用例のトランジスタVT5について、無負荷と考えることが誤りであるとすると、同じく負荷を無視して解析した本願発明の明細書における発明の詳細な説明における(2)式や同式に基礎を置く本願発明の特許請求の範囲の記載もまた誤りであることになる旨主張する。しかしながら、前記当事者間に争いのない本願発明の要旨に成立に争いのない甲第二号証(本願発明の特許出願公告公報)及び第三号証の一、二(手続補正書)を総合すれば、本願発明は、複合トランジスタのコレクタ極が無負荷であること(すなわち、出力端に電流を流さないこと。)を前提として導出される前記(2)式
<省略>
を基礎に置くものであり、その明細書添附の図面にも(2)式を成立させないような出力電流を流す回路は図示されてなく、また、本願発明の特許請求の範囲中の「上記第一のインピーダンスと第二のインピーダンスとの比は、上記複合トランジスタの電流利得に上記第一のインピーダンスと第二のインピーダンスとの比を乗じたものが電圧利得となるように選定され」(本件審決認定の(C)の技術事項に対応する。)、「この電圧利得は上記各別のトランジスタのそれぞれの順方向電流利得の変化に対して無関係とされ」(同じく(D)に対応する。)、「更に上記の比は、上記直流動作電圧源と関連して上記入力端子における直流電圧レベルとの間に所定のレベル変移を与えるように選定されている」(同じく(E)に対応する。)との記載は、被告も主張するとおり(2)式に基礎を置き外部負荷が無視でき、実質出力電流が流れないときに初めて成立する要件である(このことは、本件審決も、その五丁表第一五行目ないし六丁表第八行の記載において、(C)ないし(E)の技術事項をその認定の基礎としていることから、これを認めていることは明らかである。)と認められるから、本願発明において負荷が無視されているのは当然のことというべきであり(仮に、本願発明において出力端に負荷が接続され、そこに電流が流れるのであれば前記(2)式は成立しない。)、したがつて、本願発明において負荷が無視されているからといつて、前認定のとおり、現に出力端に負荷が接続され、それを前提にしてのみ機能している引用例の回路に負荷を無視する本願発明の回路構成の技術的思想の開示又は示唆があるものとし、あるいはこれを想定することが可能であるとすることは、到底認めることができない。なお、被告は、本願発明の明細書には、出力端子(40)に外部負荷として何が接続され、又は接続されないかについて記載されていないが、増幅器である以上その出力信号を取り出して利用する手段(負荷)が何らかの形で接続されるはずであり、負荷が接続されれば、負荷電流が流れる理屈である旨主張するが、前認定のとおり、本願発明が、出力にほとんど電流を流さない実質無負荷を要件とする以上、被告の右主張は採用するに由ない主張というほかない。
以上説示したとおり、本件審決が引用例の記載から技術事項(C)ないし(E)を把握し得るとした点は、誤りというほかなく、この誤りが本件審決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、本件審決は違法として取消しを免れない。
(むすび)
三 よつて、その主張の点に判断を誤つた違法のあることを理由に本件審決の取消しを求める原告の本訴請求は、正当であるから、認容することとする。
〔編註その一〕 本願発明の要旨は左のとおりである。
少なくとも二個の各別のトランジスタを含みその各トランジスタのベース極と少なくとも一つのトランジスタのコレクタ極とが相互接続されてベース電極を形成し、他のトランジスタのコレクタ極がコレクタ電極を形成し、すべてのトランジスタのエミツタ極が共通して基準電位点に直流導電的に接続されてエミツタ電極を形成している複合トランジスタであつて、その電流利得が上記各別のトランジスタのベース・エミツタ接合の面積に依存しているものを具備してなり、第一のインピーダンスが上記複合トランジスタのコレクタ負荷として直流動作電圧源に対して直流導電的に接続され、出力端子が上記複合トランジスタのコレクタ電極に接続され、上記複合トランジスタの入力インピーダンスよりも実質的に大きな第二のインピーダンスが上記複合トランジスタのベース電極と信号入力端子との間に直流導電的に接続されており、上記第一のインピーダンスと第二のインピーダンスとの比は、上記複合トランジスタの電流利得に上記第一のインピーダンスと第二のインピーダンスとの比を乗じたものが電圧利得となるように選定され、この電圧利得は上記各別のトランジスタのそれぞれの順方向電流利得の変化に対して無関係とされ、更に上記の比は、上記直流動作電圧源と関連して上記入力端子における直流電圧レベルと出力端子における直流電圧レベルとの間に所定のレベル変移を与えるように選定されている電圧増幅器として動作する信号変換装置(別紙図面(一)参照)
〔編註その二〕 本件審決の理由の要点は左のとおりである。
本願発明の要旨は、前項記載のとおりと認められるところ、本願発明の優先権主張日前に日本国内において頒布された刊行物である「Conference on Integrated Circuits」(2nd―4th May, 1967)(以下「引用例」という。)には、その第七九頁ないし第八〇頁の「5. S. I. C. Operational, Amplifier for Filter Appli―cations」(フイルタ用シリコン集積回路演算増幅器)の項を参照し、かつ、第八八頁第六図(別紙図面(二))を観察すると、次の<1>ないし<7>の記載が認められる。
<1> 「多数の増幅器を単一のチツプに組み込む。」(第七九頁末行から第一〇行目)
<2> 「……VT3とVT4とは……利得と直流レベル変移を与える。」(第七九頁末行から第四行目)
<3> 「電流平衡回路は、モノリシツクトランジスタの一致特性を利用した良く知られた回路を基礎とする。」(第八〇頁第一五行及び第一六行)
<4> 「D2、D3、D4はダイオードとして書かれているが、これらは実際にはコレクタ・ベースが短絡されたトランジスタである。」(第八〇頁第一七行及び第一八行)
<5> 「理想的には、電流I1はVT5に等しいコレクタ電流を生じさせる。このようにしてEからFに流れる電流は(I2-I1)となる。」(第八〇頁第一八行及び第一九行)
<6> 「それゆえ、この回路は、VT6を流れる電流がI1及びI2の絶対値とは無関係で、相対的な差及び外部バイアスI3にのみ関係するという重要な特性を有する。これは、供給線路やコモンモード入力における変動を最も有効に除去せしめる。」(第八〇頁第二一行ないし第二五行)
<7> 「二個の各別のトランジスタ(D2、VT5)を含み、その各トランジスタのベース極と一つのトランジスタ(D2)のコレクタ極とが相互接続されてベース電極を形成し、他のトランジスタ(VT5)のコレクタ極がコレクタ電極を形成し、すべてのトランジスタのエミツタ極が共通して基準電位点(-Vee)に直流導電的に接続されてエミツタ電極を形成している複合トランジスタを具備してなり、第一のインピーダンス(R8)が前記複合トランジスタのコレクタの負荷として直流動作電圧源(VT4のエミツタ)に対して直流導電的に接続され、出力端子(E)が前記複合トランジスタのコレクタ電極に接続され、第二のインピーダンス(R7)が前記複合トランジスタのベース電極と信号入力端子(VT3のエミツタ)との間に直流導電的に接続されている電圧増幅器として動作する信号変換装置。」(第八八頁第六図)
また、引用例に直截には記載されていないが、次の(A)ないし(E)は、引用例の記載から直ちに把握することができる。
(A)「信号変換装置(前記<7>のものをいう。以下(E)までにおいて同じ。)の電流利得が各別のトランジスタ(D2、VT5)のベース・エミツタ接合の面積に依存すること。」
このことが、物理現象として必然であることは、オランダ国特許出願第六六一七四六二号公開公報に、類似した装置が示され、かつ、その第二頁第三七行ないし第三九行に「増幅器の電流利得は、増幅段トランジスタ2―1ないし2―nの数対トランジスタ6―1ないし6―nの数の比にほぼ等しい。」と記載されていることや、雑誌「IEEE JOURNAL OF SOLID―STATE CIRCUITS」(一九六六年九月号)第一九頁ないし第二〇頁にも、信号変換装置に類似した装置が示され、かつ、その第一九頁右欄第二〇行以下に「接合電流は、エミツタ面積に比例するので、バイアストランジスタには電流源の電流の1/nだけが供給される。」と記載されていることから、充分に認められる。
(B) 「信号変換装置におけるインピーダンスR7は、複合トランジスタの入力インピーダンスよりも実質的に大であること。」
このことは、複合トランジスタへの入力が電流I1として扱われていることから必然である。
(C) 「信号変換装置における第一のインピーダンスR8と第二のインピーダンスR7との比は、複合トランジスタの電流利得に前記の比を乗じたものが電圧利得となるように選定されていること。」
このことは、前記<5>より明らかである。すなわち、トランジスタVT3のエミツタ電圧をV3(一定ではない。)とし、トランジスタVT4のエミツタ電圧V4(一定ではない。)とし、トランジスタD2のベース・エミツタ間電圧をVbeとし、トランジスタVT5のコレクタ電圧をVoutとし、かつ、そのコレクタが無負荷である状態を考えれば(無負荷と考えることは、後述する本願発明との対比の結果を左右するものではない。ちなみに、本願発明の明細書における発明の詳細な説明(公告公報第三頁左欄(2)式)でも、負荷は無視されている。)、前記<5>より電流利得は1であるので、
<省略>
となり、電圧利得がR8/R7に電流利得(=1)を乗じたものとなることは明らかである。なお、引用例には、R8/R7の値を特定の電圧利得を得るべく意図的に選定する旨の記載はないが、通常演算増幅器回路の設計をする際に、設計者が、予定する増幅利得と無関係に漫然と意味のない回路定数を採用するようなことはあり得ないことであるから、R8/R7の値は当然に予定する増幅利得に応じて選定されるものと認められる。
(D) 「信号変換装置における電圧利得は、各別のトランジスタのそれぞれの電流利得の変化に対して無関係とされていること。」
このことは、電圧利得が前記(C)で述べたように、インピーダンスの比R8/R7に比例し、かつ、これらのインピーダンスが前記<1>及び<3>によつて同一の熱環境にあることが認められることから明らかである。更にまた、前記<6>からも明らかである。
(E) 「信号変換装置において、インピーダンスの比R8/R7は、直流動作電圧源と関連して入力端子における直流電圧レベルと出力端子における直流電圧レベルとの間に所定の変移を与えるように選定されていること。」
このことは、前記(C)で述べた式<省略>において、VoutとV3との間に任意の変移が可能であることから、明らかである。更にまた、前記<2>によれば、VT3やVT4は、レベル変移を与えるものであるので、それらの直流的に接続されている信号変換装置もまた、当然にレベル変移機能の一部を分担するものと認められる。
以上に認定した本願発明と引用例が開示するものとを対比すれば、両者間には、当業者が容易に想到することができないような相違は、一つも見出すことができない。
なお、請求人(原告)は、引用例に記載のものでは、本願発明と相違して、トランジスタVT5のコレクタ・エミツタ間にダイオードD3が直接接続されており、コレクタ電圧がダイオードD3のオフセツト電圧(〇・七ボルト)に強制的に維持されるから、所要の直流レベル、利得及び入力信号に比例する出力信号を得ることができないものである旨主張するので、この点について考察するに、引用例によると、トランジスタVT5のコレクタ・エミツタ間にダイオードD3が直接接続されていることは認められるが、一方、本願発明については、信号変換装置の出力端子に外部負荷として何を接続し、又は何を接続しないかということを、発明の構成要件としないばかりでなく、明細書の発明の詳細な説明や図面の記載によつて格別特定してもいない。したがつて、前記ダイオードD3のごとき外部負荷の一部として作用するものの有無や種類によつては、本願発明と引用例が開示するものとの間の差異を論ずることができない。しかも、引用例に記載のダイオードD3の作用は、請求人(原告)が主張するような、トランジスタVT5のコレクタ電圧を〇・七ボルトに強制的に維持し、所要の直流レベル、利得及び出力電圧を得られなくするものではない。すなわち、引用例には、ダイオードD3が請求人(原告)主張のごとき作用をする旨の記載はなく、また、ダイオードD3が接続されているからといつて必然的に請求人(原告)主張のごとき作用をするものでもなく(ダイオードD3自体の構造や外部から印加するバイアスの選択によつて、相当の範囲で作用を調整することが可能と認められる。)、更に、ダイオードD3が請求人(原告)主張のごとき作用をすると解釈すべき特段の理由もない。むしろ、引用例が開示するものが全体として高度の利得や直線性を要求される演算増幅器であるからには、その一部に設けられたダイオードD3は、所要の利得や直線性を満足するように、当然にそれ自体の構造や外部印加バイアスが選択されるべきである。しかるところ、ダイオードD3によつてトランジスタVT5のコレクタ電圧が〇・七ボルトに強制的に維持されて所要の直流レベル、利得及び出力信号が得られなくされる旨の請求人(原告)の主張は、引用例の記載の全趣旨に対して著しく妥当性を欠き、到底採り得るところではない。
以上のとおりであるから、本願発明は、特許法第二九条第二項の規定により特許を受けることができない。
〔編註その三〕 本件に関する図面は左のとおりである。
別紙図面(一)
<省略>
別紙図面(二)
<省略>